Tuesday, February 26, 2013

生まれる順番待ち

大学のクラブの同輩に、根津という男がいた。
彼は私と同じく高校を卒業して大学に入る迄2年のブランクがあり、同じ歳だった。
根津はある時、次のようなことを覚えているのだと言い出した。
「生まれてくる前に、地上を見下ろせるところにいた。」 そこでので様子を次のように語った。
根津の右隣に一人の男、左側には女性が同じ格好で座っていた。
そこからは下界の海が見えたので、多分、海の近くだったようだ。
周囲を見ると、自分たちと同様に3人一組のグループがあちこちに座っていた。
この世界には段階があるようで、自分と地上の間にはいくつかの層になっている。下を見ると同じように地上を見下ろしている人々が見えた。
自分たちのいる所より上にもずっと段階があるようだが、自分よりも上の世界は見ることができないらしい。
みんな地上に生まれ落ちるのを待っているようだった。
根津の左の女性は気が強く、負けず嫌いで、積極的に自分から進んでやる人で 根津の右側の男性は、とても口数が少ない、優しくおとなしい性格だったと言う。 詩を作ったり花を見て美しいと思う女性的な一面をもった気が優しい人間だった。
その男の体は真っ黒で(肉体はもっていないので、霊的次元で)、暇さえあれば「修行だ、修行だ」と言っているような、禁欲的なところがあったとも言った。

彼ら3人よりも遙かに高い所には、神だか仏だかわからないが偉い存在が彼らをいつも見守っているらしかったが、その姿は見えず、根津はその存在からあまり好ましく思われていなかった。
と・・・いうのは、彼は神さまに対して憎まれ口をたたくようなところがあったからだ。
もう一人の男は、無口で暗い性格だが真面目で、その存在は偉い存在から気に入られていた。
他の人の事は判らないが、彼ら3人はキューピッド的な能力が与えられていたのだそうだ。
彼ら3人は自分の両親となる人を選ぶことができる権利をもっていた。
この父親と母親のもとに生まれたいという人を見つけて・・・
その2人を結びつけて結婚させることができるというのだ。
根津の隣の男が母親として選んだのは、背が低く、少し太った女性だった。
彼女はとても気が強く、頑固だった。
彼はその女性とある男を結びつけ、結婚させた。
彼の父親となる男は、人間的にとても弱い面をもっていた。
そして2人は結婚した。

根津は私の両親に会った事もなく、2人がどんな性格でどんな外見かを全く知らない筈だったが、彼の話す男の両親の描写は、全て私の両親に当てはまっていた。
また、常日頃から私自身は過去生でインドのヨガ行者だったのではと思っていたので、「体が真っ黒」で、いつも「修行だ、修行だ」と言っていたというのも納得できる。

そして、3人が地上界へ生まれるべき時が来た。

根津は先に地上へ行くと言い、選んで結婚させた両親の元へ生まれていった。
だから残った2人のうち誰が次に地上に降りていったか、根津は知らないという。
しかし、2人の性格から想像すると、やはり引っ込み思案の男よりも、何事にも積極的な女の方が絶対先に生まれただろうと言うのだ。
根津の生年月日は1956年4月28日土曜日。
その「無口な男」というのが私のことだとすれば、私は1956年5月5日土曜日に生まれていて、ちょうど根津が生まれた1週間後で、と・・・いう事は・・・もう一人の女の方は、この1週間の間に生まれているということになる。

ところでこの3人は生まれていく前、地上のどこかで出逢う約束をしていた。
そして、その時にお互いを認識できるように、それぞれ体のどこかにホクロを付けて、それを目印にしようということになって、それで根津は左の顎に、女は右の背中に、そしてもう一人の男は右の胸にホクロを付けることにした。
根津がここまで話した時点で、その無口な男というのが私なのだという確信が決定的になった。
なぜなら、私の右の胸には、大きなホクロがあったからだ。
根津は私の上半身の裸を見た事もなく、胸にホクロがあるかどうか、知っているはずがない。
さらに言えば、生まれる前に根津と私と一緒にいた女に該当する女性が一人存在するのだ。

大学を卒業して根津とも会うことがなくなってからのことだった。
親友の吉田が結婚したが、その奥さんが根津と私の間の、1956年5月3日に生まれている気の強い女性なのだ。
吉田に何気なく聞いたら背中の右側に大きなホクロガあるというので、その後、真面目に事情を話して吉田に聞いた。
すると、奥さんにも、「生まれる前に男性2人と下界を見下ろしていた・・・」と、そんな記憶があるんだそうだ。

Wednesday, February 20, 2013

不況からの脱出

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不況続きのこの世の中で、
あなたは、どう生き抜きますか?
値下げ?
コスト削減?
首切り

そう考えるから、デフレに追い込まれてしまうのです。

こんな世知辛い世の中で、頭のいい政治家は何と言っているのだろうか?
「デフレ脱却には金をばらまけ!」と叫んでいる。
日銀が日本を駄目にしたとも言っている。

いやだねー、こんな政治家

それでは経済学者は何を言っているのか?
新規事業を創出せよ。
新エネルギーとして太陽エネルギーなど自然エネルギー分野に金を投入せよ!
医療や社会福祉の分野に新規事業の可能性がある。
いや、やはり農業である、などとのたまう。
最近では高齢者が金を箪笥や銀行に預けている。
この金を有効活用しようではないかと言い始めた。
老い先短い老人が、当てにならない社会福祉を信用しているだろうか?
ノーである。
そうであれば、金など使うはずもない。

今まで偉い偉いと思っていた政治家や学者連中の話の中に、素晴らしい発言が一つも見られない。
ところが、実業家はちょっと違う。
先日、大田区の中小企業の親父さんたちが、ボブスレーのそりを作った話をテレビで見た。
今までは、オリンピックの日本チームは他国のチームのセコハンを使って、オリンピックに参加したらしい。
こんなことで、いい記録などでるわけがない。
かと言って、大手メーカーは話題にならないボブスレーに資金を投下することなどあり得ない。

そんな状況の中で、大田区の中小企業の親父さんたちが自分たちの力を世界見せてやろうと立ち上がった。
先日などは、それで日本記録を一秒以上も短縮したという。
これこそ今日本が必要としていること。
何を言っているのかまだ解らない?
おお、あなたもデフレ不況の被害者だ。
もう、アイデアは出尽くしたと思っているお父さん、目を覚まそうよ。

そう、今は「やってみよう」と腰を上げること。
「夢を持とうよ」と言い続けること。
「何かわくわくすることをやろう」と呼びかけること。
そう、一人一人が手をつなぐことだよ
コラボレーションで生き抜こうよ。
私は、横浜の青葉区ででパソコン教室を細々とやっている。
「ポコ・ア・ポコ パソコン教室」 というのだ。

今朝、私の所に、同じ区のパソコン販売会社の一幸電子の人から電話がかかってきた。
今、パソコンを買いたい人がいるが、その人は、
「ちゃんとパソコンを教えてくれるところを紹介してくれたら、パソコンを買うよ。」
以前は一幸電子にもパソコンを教える部隊はいたが、今はいない。
そこで、私の所に話が舞い込んだのだ。
私は、この瞬間、日本経済の復活の鍵を悟ったのだ。
コラボレーションこそが大事なのだ。
共存することを意識しよう。
自分だけが生きようとすると、必ず破滅するのだ。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出してください。
主人公のカンダタは、下に続き人々を蹴落とそうとした時に、地獄に転落するのだ。
ビジネスは、値下げ競争で勝つことではない。
お客様も喜び、すぐそばの競争相手も殺さないことなのだ。 この思想は、宗教の世界の愛であるし、慈悲であるのだ。 政治家諸君は宗教を学びなさい。

Monday, February 18, 2013

懐かしき人が現れる

昨日、外出から帰ってみると、家内が大きな声で、
「珍しい人が来ているよ」、と叫ぶ。
部屋に入ってみると、何と住友さんではないか!

住友さん?

私どもが2000年にパソコン教室を開いたときに、入会してくれた人である。
その住友さんは、2年ほど通ってきてくれたが、事情があって筑波に移られた。
それから、3年後にふらりと、我々の事務所を訪ねて来られた。

筑波に移られたのは、奥さんの希望で土地を買い、家を建てられた。
しかし、移って1年後に奥さんを亡くされた。
v 自分は一人、筑波で余生を送り、年に一度、横浜の娘の家に帰ってくるのだと言っていた。

また、それから3年間、我々の所には来なかった。

突如、現れた時は、脳卒中で入院していたことを話してくれた。
そのため、ろれつが回らず、はっきりとした喋りができなかった。

それから、3年毎に訪ねて来てくれていた。

昨日の話では、筑波の家は総て売ってきたという。

これからは、娘のところで厄介になるというのだ。

住友さんとの話は、たわいもない話。
しかし、楽しそうに話してくれる。

聞いてみると、今年で84歳だという。

蛇年である。

約1時間半くらいいたであろう。

帰り際、玄関で、

「そうそう、これからは時間がるので、また、パソコンを教えてください」

と。ボソリと言った。

住友さんが帰った後、私は感じた。

「観音様が訪ねて来てくれた」

そんな気がする。